青い空。白い光。煌く緑。
それが、今の俺が感じる全て。
こんなふうに、俺は生きていたかったのです。



窓から見える景色は、いかにも七月の終わりといった感じに、ひどく眩しい。ハイネセンからフェザーンへと帰って来てから今日で三日。漸く身辺が落ち着いてきたところだった。ヴェルゼーデ仮皇宮の自室に一人。ベッドに横たわり俺は窓から望めるささやかな景色をぼんやりと眺めていた。普段は大勢の医師や看護婦が俺の周りに付いているのだけれども、今日は何だかとても気分が良くて、少しの間だけでもいいから一人にして欲しいと言っておいたのだ。まあ、もう動く事も出来ないから、何をするわけでもないのだけれど。
ひどく静かだ。病人の俺に気を使ってか、皆、この階では物音一つ立てぬようにしているらしかった。聞こえるのは、微かに吹いているらしい夏の風に揺れている木々の葉擦れの音と、鳥の囀りくらいだ。何だか幸せなくらい穏やかな気分で、こんなふうに静かに時を過ごすのは、多分生まれて初めてのような気がした。
そう。俺は今幸せなんだ。だって、もう何も考えなくていいんだから。もう、誰かの為に苦しんだり、誰かを傷付けたり、誰かを守る為に必死になったり、しなくていいんだから。無責任だろうが何だろうが、もうどうだっていいよ。何より、もうすぐキルヒアイスに会えるんだから。ああ、でもこんな俺じゃ会いたくないかな。だけどいいよ。もう、いいんだ。俺はきっと幸せだから。

ふと、ドアの方に人の話し声が聞こえた。俺の部屋の前には常にエミールがまるで門番のように立ちはだかっていて、客の応対をしている。誰か来たのだろうか。邪魔しないで欲しいんだけどな。どうせ俺、もう話すような元気も無いし。
少しして、ドアの開く音がした。もう、顔をそちらに向けるのも億劫で、俺はぼんやりと窓の外や天井を見つめたままでいた。いや、もしかしたら目を瞑っているのかもしれない。それともあるいは眠っているのかもしれない。何だかもう、何もかもが夢みたいで、よく判らないんだ。
「陛下…」
だけど夢じゃなかった。耳元に、涙で掠れた男の声がした。ゆっくりと視線だけを向けてみれば、真っ赤に目を泣き腫らしたビッテンフェルトが居た。俺のベッドの横の椅子に腰掛けて、子供のような顔をしてじっと俺を見つめている。とても悲しそうだった。そうしてもう一度、「陛下」と呼んでくる。「何だ」と答えようとしたけど、もう声がよく出ないんだ。ビッテンフェルトも、何も言わない。言いたい事が山程あるのに、涙に詰まって何も言えないというような顔をしていた。そうして無言のまま俺の右手をぎゅうと両手で握り締めて、「陛下、陛下」と涙声で繰り返した。俺はやっぱりぼんやりと、それを見ていた。
あーあ。どうしてそんなに泣くんだよ。大の大人がそんなにぼろぼろ涙こぼしてさ。鼻水まで出てるぞ。そんな強く握り締めるなよ。何がそんなに悲しいんだよ。俺、お前にそんなふうに泣いて貰える程何かしてやったっけ?よく判んないよ。
それなのに、ビッテンフェルトは俺の手を握り締めたまま、ただ泣いていた。右手に感じるビッテンフェルトの手の温もりだけが、妙にリアルだ。俺、お前のこの大きくてゴツゴツしたあったかい手、すごく好きだったよ。そんな事、一度も言った事無かったけどさ。

「閣下、そろそろ」
エミールがドアから顔を覗かせてビッテンフェルトに呼びかけた。そろそろ退出しろと言いたいらしい。あれはいつもこうだ。俺の客を早々に引き取らせようとする。可愛いやつ。
ビッテンフェルトが名残惜しげに俺の手を離して、席を立つ。そうして重たげな足取りでドアへと向かう。結局何も話さなかったな。何しに来たんだ一体、って感じだけど、まあいいや。あ、だけど―――
「…有難う…」
漸く出た声は、か細く弱弱しかった。情けないな。でもそれだけは何となく言っておきたくなったんだ。ビッテンフェルトは立ち止まり、そのまま動かない。振り向きもせず、じっと立ち尽くしている。…聞こえたよな?
どうも心配になったけど、もう一度呼びかける力もない。何だか瞼が重くなってきた。少し眠りたい。窓からの眩しい光が瞼を通しても白く見える。風の音が聞こえる。ああ、何を考えてたんだっけ?もうよく判らないや。
遠くで扉の閉まる音がした。段々と小さくなっていく靴音。

お前には、幸せになってほしいなあ。
まるで真夏の日差しみたいに。眩しいお前が、俺は本当に好きだったんだ。


何だか妙な満足感が、俺の心を満たしている。窓から見える空は綺麗だし、木々のざわめきも耳に心地良くて、不思議なふわふわとした感覚が、俺の身体を包み込んでいる。とても、静かだ。



だから。
俺はきっと幸せなんだ。

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