美しい人

彼は、美しい人だった。
誰もが皆、そう言って彼を称えた。けれど、誰より近くで仕えていた僕にとっては、誰よりも可愛らしい人だった。長身で、線の細い華奢な身体に、張り詰めた雪の結晶を固めたような、白い肌。憂いに濡れた蒼氷色の瞳と、硬く引き結ばれた、淡い紅色の唇。プライドが高くて、我侭で、寂しがり屋で。いつも誰かを待ってるような表情で、遠くを見てた。守ってあげたいって、強く強く、思った。



「寂しい」
それがあの人の口癖だった。恋人は何人も居たくせに、それでもいつもそう言って、泣いてた。そんな時に彼は、胸に掛かった銀色のペンダントを握り締める癖があった。まるでそのペンダントに縋る様に、強く握り込んでいた綺麗な指を、僕はいつまでも憶えている。死んだ恋人を、忘れられないのだと、あの銀のペンダントは、きっとその恋人の形見なのだろうと、誰かが噂していた。それとなく彼に、その噂の真偽を問うてみた事があった。彼は、少し悲しそうに微笑んだだけだった。

僕が傍に居るよ。貴方の泣き顔は見たくないんだ。



彼の周りには様々な男の影があった。
まず、黒と青の瞳を持つ男。その男と一緒に居る時のあの人は、いつもどこか虚勢を張ったような、今にも砕け散ってしまいそうな危うげな様子で、それでも艶やかに笑っていた。その、大輪の華のような面が、酷く眩しかった。あの、金銀妖瞳の男も、きっとそう思っていたに違いない。けれどその男は、あの人を置いて、一人、行ってしまった。あの人は、「また置き去りにされてしまった」と泣いた。だけど僕には最初から判ってた。二人の行く末には必ず悲劇的な結果が待ち受けているだろうと。だって、二人とも、一度だって幸せそうな顔で笑った事が無かった。彼ら自身も、きっとそれを承知でいたのだろう。想い出を残さぬよう、互いに想いを伝えぬようにしていた二人だから。
次に、砂色の髪と瞳を持つ男。彼は、優しい男だった。その男と一緒に居る時は、あの人も寛いだような、穏やかな顔をしていた。それでもどうしてか、その男との逢瀬の後、あの人はいつも不機嫌だった。自分自身に苛立っているような表情で、きつく銀のペンダントを握り締めていた。理由は今でも判らない。
それから、蜂蜜色の髪の清廉潔白な男。それに、オレンジ色の髪をした、直情径行のある、剛毅な男。あと、青い瞳の、いや、藤色の瞳でもあった、射撃の名手。それらの男達に縋り、しかしあの人は誰に対しても、どこか一線を引いたような接し方をしていた。誰か一人を心から愛する事が出来ていれば、必ず幸せになれただろうに。
あと一人、忘れられない男がいる。氷のサーベルと称された、義眼の男。口ではなんだかんだと言いながらも、あの人はこの男を、ひどく頼りにしていたように思う。あの人の、今にも壊れてしまいそうな危うさを受け止める事が出来ていたのは、多分あの義眼の男だけだった。まあ、僕の推測に過ぎないのだが。

皆、貴方を愛しているのに。それでも遠くを見つめてばかり。



一度だけ、眠っている彼に口付けした事がある。彼は時々戯れに、頬や額にキスをくれる事はあったが、やはりどこまでも子供扱いだった。それがとてもとても悔しくて、僕は一度だけ、あの人の唇を奪った。

本当は気付いていたくせに。眠ったフリをしていたのは、僕が子供だったからなの?



いつかは消えてしまうだろうとは判っていた。
それでも僕は悲しくて仕方が無かった。あの人が、不治の病に冒されていたと知った時は。
なのに彼は、自分の病を知って、笑ったのだ。眩しいほど幸せそうに。
ずっとずっとこの時を待っていたのだと。
運命の糸を手繰り寄せて、漸く待ち焦がれたこの時を手にしたのだと。
本当に綺麗な笑顔を見せたのだ。今まで見た中で、一番美しい顔だった。
(いかないで)
僕は口を衝いて出そうになった言葉を、ごくりと飲み込んだ。そんな事を言ったら、きっと彼を困らせてしまうだろうと、よく判っていたから。

置いていくの?僕を置いていくの?僕の美しい人。



最後の最後まで、彼は綺麗で、可愛くて、哀しい人だった。
最後の最後まで、僕の心を憧れにかき立て続けた、美しい人だった。
守ってあげたいと、強く強く、心から、願っていたのに――――――。



まだ、憶えています。
ずっと、憶えています。
僕の貴方。美しい貴方。

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