繋いだ手

十二月十六日。
あの、冬の日。
薄暗い部屋の中、夕闇を背にして座っていたお前。
ハイネセンの宇宙港に着いた時に、もうその事を、お前が死んだって事を、知らされてはいたけれど、俺はあの時、実は少し期待してしまったんだ。お前があまりにも穏やかな、幸せそうな顔をして待っていたから。もしかしたらお前は、すぐに目を開いて、その美しい金銀妖瞳に俺を映して、そうしてもう一度、俺の名前を呼んでくれるんじゃないか、って。本気でそう思ったんだ。

馬鹿な事だと自覚してはいたけれど、願わずにはいられなかったんです。




腕の中に、柔らかな温もりがある。ミッターマイヤーは、自分の胸にぴたりと頬を寄せ、すやすやと小さな寝息を立てているフェリックスの髪を優しく撫でた。その若々しい面には温かな微笑みが浮かんでいる。息子と共に一つのベッドに入っていると、幸福感や安心感が心を押し包んで、自然、笑みが零れてしまうのだ。「父さんと一緒じゃなきゃ寝ない」と、フェリックスのそんな可愛い我侭に頷いてやったお陰で、彼は毎晩のようにこうして息子が寝入るまで傍に居てやらなければならなかった。階下からは、エヴァンゼリンが台所で洗物をしている音が聞こえてくる。けれどそれもじきに止み、そして部屋の中はまったくの静寂に沈んだ。彼はつと視線を息子から外し、仰向けになって、天井を見つめた。
静かな、静かな、こんな夜。想い出すのはいつだって、ロイエンタールの事だった。



「ずっと傍に居てくれるか?」
ロイエンタールは度々、そんな風に訊いてきた。らしくもなくその端正な顔に不安げな表情さえ滲ませて、そう訊ねてくる。ミッターマイヤーはいつも、答えなかった。
そんな質問をしてくるのは決まって行為の後で、ロイエンタールはミッターマイヤーの身体をきつく抱きしめながら、まるで哀願するかのように問うてきた。けれどミッターマイヤーはいつだって頷きもしなかったし、首を横に振りもしなかった。何も言わず、ロイエンタールの胸に顔を埋め、眠ったフリをした。気恥ずかしかったというわけではない。勿論、彼の傍に居るのが嫌と言うわけでもない。けれどミッターマイヤーは答えられなかった。怖かったのだ。
ロイエンタールが自分を、否、自分だけを、愛し、頼り、求めているのは知っていた。彼にとって心底大切な人間は、この世に自分だけだと、よく判っていた。自惚れでは、ないと思う。だって彼はいつだって、まるで縋るような瞳をして俺を見ていたから。自分はそれが嬉しかったのだ。本当に。この見事な男が欲しているのは俺だけで、彼にとっては俺だけが世界の総てなのだ、と。そんな風にひどく喜んでいる自分が、確かにいた。しかしそんな風に思う度に、いつも愕然とした。自分が怖くなった。こんな事ではいけない、と自分を叱り付け、だからロイエンタールにしつこく結婚を薦めてみたりもした。もしも彼が、心から愛せる女性と巡り会えることが出来れば、きっと彼の世界は広がり、自分だけを追うこともなくなるだろうと。そして自分の中にあるひどい独占欲も鎮まって、彼を自分だけに縛り付けておきたいという馬鹿な願望も消えてくれるだろうと。

けれど彼が、俺以外の人間を愛する事があり得るなどとは
絶対に思っていませんでした。
当たり前です。
彼には、最後の最後まで、俺だけだったんです。




面倒くさがり屋で、外に出るのを億劫がるロイエンタールの手を引いて、ミッターマイヤーは色々な所に出かけた。散歩に行こう、と誘って、強引にロイエンタールを引っ張り出す。眩しい若葉の生い茂る公園、人ごみでいっぱいの商店街、たまに車で遠出して海辺を歩いた事もあった。とにかく様々な所に彼を連れ出して、いつだって手を引いて歩いた。彼に世界を知って欲しかった。この世には色々なものがあるのだと。頭が良いくせに、いつも気難しい顔をして、馬鹿な事やどうしようもない事ばかりを考えている親友に、教えてやりたかった。世界はこんなに眩しいのだと。とにかく笑って欲しかった。幸せを感じてもらいたかった。だから、いつも手を引いて歩いた。繋いだロイエンタールの手は、いつも少し冷たくて、それを言うと、彼は「お前の手が熱過ぎるのだ」と軽口を叩いた。「じゃあ俺の熱い手で卿の冷え切った手を温めてやろう」。そう言ってミッターマイヤーが強く手を握り締めれば、ロイエンタールは必ず握り返してくれた。そうして二人で笑った。

そんな時、俺はいつも、本当に、それこそ心が千切れるくらいの思いで、永遠を願いました。
けれど。
結局俺は、彼を救えなかった。
何も判っていなかったのは、俺の方だったんです。





最後にベッドを共にしたのは、いつだったか。確かロイエンタールが新領土に旅立つ数日前だった。頬を寄せて、口付けて、抱き合って、いつものように、愛し合った。そしてその後、ロイエンタールはやはり、ミッターマイヤーをきつく抱きしめた。けれど。彼はその時、「ずっと傍に居てくれるか?」とは、訊いてこなかった。代わりに、ただ一言、「愛している」、と―――…。
ミッターマイヤーは目を瞠って、だた、ロイエンタールを見つめていた。声が出なかった。息さえも止まっていた。心臓に、ぐさりとナイフを差し込まれたかのような熱さが貫いた思いがした。そのうちに、どうしてか涙が滲んできて、視界がぼやけて、ロイエンタールの顔が見えなくなった。泣いていると悟られるのが嫌で、夢中で彼の首にしがみ付き、ミッターマイヤーは力の限りに掻き抱いた。
「離すものか」
そうロイエンタールに、まるで叫ぶように囁いて、唇を重ねた。

それなのに、俺は離してしまった。
お前の手を、離してしまった。






はっと、ミッターマイヤーは我に返った。腕の中のフェリックスが、むずがるように顔を顰めて、ぎゅうっと抱きついてきたからだ。今にも泣き出しそうな表情でしばらく唸っていたかと思うと、ぱちっと目を開いて、ミッターマイヤーを見つめてきた。空色の瞳はいつだって透き通るように澄んでいて、ミッターマイヤーは、それを悲しいくらいに綺麗だと思う。
「どうした?フェリックス」
優しく問いかけてやれば、眠そうにゴシゴシと目を擦りながら答える。
「おしっこ…」
ミッターマイヤーが慌ててフェリックスの小さな身体を抱き上げた時、丁度家事を終えたエヴァンゼリンが部屋へ入ってきた。
「どうなさったの?あなた」
「ああ、フェリックスがトイレに行きたいと起きてしまった」
「まぁ、私が連れて行きますわ」
そう言ってエヴァンゼリンはフェリックスをミッターマイヤーの腕から抱きとると、部屋を出て行った。
一人、部屋に残されたミッターマイヤーはぼんやりと窓の外を見つめた。夜空には星々が輝いていた。優しく降り注ぐ星の光は、けれどだからミッターマイヤーを泣きたくさせた。じわりと両眼に広がった涙を飲み込むように、彼は目を閉じる。瞼裏には、やっぱりロイエンタールの面影が浮かび上がってきた。暗闇の中に佇む彼が、自分に笑いかけてくる。いつだって彼に笑っていて欲しいと願っていたから、だから自分の追憶の中の彼は、こんな風に幸せそうに微笑んでいるのだろうか。ミッターマイヤーはきつく両手を握り合わせ、自分でも今更遅過ぎると思いながらも、呟いた。祈るように。自分の中にあるロイエンタールの面影に向かって。


「離さないよ。絶対に。もう二度と、離すものか。―――ロイエンタール…」



永遠だと信じていた。
愛していたんです。
愛しているんです。
遠い空。繋いだ手。お前の笑顔。いつだって。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送