あどけないひと

 もう何度目になるだろう。
 新銀河帝国軍上級大将ナイトハルト・ミュラーは、腕時計の数字を眺めながら、軽いため息をついた。
 23:50。無機的な電子文字の表示が、彼の足を速めさせる。とくに時間の指定があったわけではないが、それでも何とはなしに、心が急く。急ぎ足で、皇帝私室に直通のエレベーターに乗る。
 彼は皇帝から呼び出しを受けていた。このような真夜中に。
 これが初めてというわけではない。もう、四度目か、五度目になるだろうか。自分の官舎で、そろそろベッドに入って休もうかと思っているミュラーのもとに、23時を過ぎたころに突然、TV電話がかかってくる。相手は皇帝の親衛隊長キスリング准将で、至急陛下のもとに参上するように、と告げるのだ。勅命には逆らえない。むろん逆らうつもりなど毛頭ないミュラーであるが、こうたびたび重なると、主君であるラインハルトの心情を探りたいと思ってしまうのも無理からぬことである。
 皇帝からの呼び出しということで、慌てて駆けつけても、何を命じられるわけでもない。ラインハルトはゆるやかな室内着や、しどけないバスローブ姿で、にこやかにミュラーを迎え、「急に卿の顔がみたくなった」とか「良い酒が手に入った。卿と飲みたいと思って」などといって、朝までミュラーを帰そうとはしない。そんな夜、ミュラーはラインハルトに付きあって、酒を飲んだり、三次元チェスの相手をしたりして過ごすことになる。べつにそれが嫌だというわけでなかったが、ただ、なぜ自分なのだろうと思うのだ。
(キスリングから聞いた話では、陛下はロイエンタール元帥と…)
 そこまで考えて、彼はかぶりを振った。
 考えるべきことではない、と思った。

 参上したミュラーを、ラインハルトはやはり、機嫌良く迎えてくれた。
「早かったな。TV電話をかけさせてから、まだ12分しか経っていないのに。まるで疾風ウォルフのようだ」
 そういって笑う皇帝は、風呂上がりなのかバスローブ姿で、髪も濡れている。それを見て、何とはなしに落ちつかない気分になりながら、ミュラーは語調を整えて問いかけた。
「突然のお召し、どのようなご用件でしょうか」
 ミュラーの言葉に、ラインハルトが肩をすくめてみせる。そして、悪戯っぽく微笑みながら、「さて、何であったかな」などと呟いて、ミュラーの手をとった。
「まあ、座ってくれ。いまエミールに、なにか持ってこさせよう。何がよいかな?」
 ではブランデーを、と答えたミュラーに機嫌良く頷いてみせながら、ラインハルトはソファーに腰掛け、長い脚を組んだ。バスローブの裾から、白いうつくしい脚がむきだしになっているのも構わずに、サイドテーブルの上の電話機から受話器を取りあげ、エミールに酒とつまみを頼んでいる。それとなく視線をそらしながらミュラーは、皇帝は、あの金銀妖瞳の男と過ごす夜も、このような様子なのだろうか、と、また考えるべきでない空想が脳裏にひろがってゆくのを押しとどめることができなかった。
 皇帝は、ロイエンタールを情人にしている。否、皇帝が、ロイエンタールの情人になっている、というべきなのか。
 キスリングから聞いた話では、週に一、二度はともに夜を過ごしているという。
 ミュラーには、すこし意外だった。あれほどにキルヒアイスだけを愛しつづけているようすだったラインハルトが、他の男を受け入れたということが。
 ロイエンタールが無理に押しきったのか。しかし無理強いされて唯唯として従うラインハルトでもあるまいに。
 考えても仕方がないと思い定め、彼は運ばれてきたブランデーに口をつけた。宇宙一の権力者の飲んでいる酒だけあって、さすがに芳醇な味わいで、それはミュラーの心をつかのま和ませた。
 ラインハルトもグラスに口をつける。その美しい赤い唇に、黄金色の酒を一気に流しこんで、甘やかな仕草で、彼は首をかしげた。
「なにを考えている? さっきから、予の顔をちらちらと盗み見ながら」
 からかうような声音。ミュラーはなぜとはなしに顔を赤らめ、目をそらした。ラインハルトの、はだけた真っ白な胸元や、太ももの半ばまで見えているうつくしい脚に、よからぬ空想が広がる。この美しい身体を、あの金銀妖瞳の男は思うさまに扱っているのか…。
「いえ、小官は、なにも…」
 かろうじてそう答えたミュラーの内心を、見透かしているような目をして、ラインハルトは苦笑した。
「すまない。真面目な卿をからかうべきではないな」
 そういって、二杯めのグラスを飲み干した。以前から思っていたが、ラインハルトは少しく飲酒量が多すぎるように思われる。それほど酒に強い人間にも見えぬのに…。
「陛下、酒はこのくらいにして、今宵はなにをして過ごしましょうか。また三次元チェスでも…」
「チェスは飽きた」
 どこか拗ねたような口ぶりで、皇帝は答える。
 その幼い表情に、ミュラーは苦笑を誘われた。
 本当にあどけない人だと思う。そう、本当はあどけない人なのだ、と。
 人前にでているときの、あの、どこまでも強い、かがやける皇帝の姿は、きっと半分は、演技なのだろう。素顔の彼は、こんなにも幼く、あどけない、子どもなのだ。ひとりぼっちの、かわいそうな、子ども。
 そう考えたとき、そんなラインハルトを抱いているというロイエンタールに、かすかな怒りが湧きあがる。なぜ、そんなむごいことができるのだろう、と。そっとしておいてあげるべきではないのか。あどけなく、いつまでも一途に、あの赤毛の幼馴染の恋人だけを想いつづけるこのひとを。
「ミュラー?」
 ラインハルトが不思議そうに首をかしげる。ぼんやりとしていたミュラーは慌てて笑顔をつくり、まだグラスから手を離さない皇帝の白い手から、酒杯をとりあげた。
「映画でも観ますか? この時間なら、深夜放送のが何かやっていると思いますが」
 いいながらテレビのリモコンに手をのばすミュラーに、やはりラインハルトは拗ねたようにそっぽを向いた。
「映画の気分じゃない」
「では、どうしてほしいのですか」
 苦笑しつつ問いかけたミュラーの腕をつかんで、ラインハルトはぐいと引き寄せた。皇帝の突然の行動に、ミュラーはよろけ、そのままソファに倒れこんだ。まるでラインハルトを押し倒すようなかたちで。
「これは、失礼を…っ」
 あわてて身を起こそうとするミュラーの襟首を軽くつかんで、ラインハルトが笑う。
「こうして卿を呼ぶのは、これで五度目になるのに、どうしてなにもしてくれないんだろう。予は、宇宙でいちばん美しいのだそうだが、本当は違うのかな」
 などといって唇をとがらせる様子は、やはりどうしようもなく幼くて、ミュラーは困りはててしまう。そしてふと、皇帝は、ロイエンタールのことも、こんなふうに誘ったのかもしれないと思った。こんなふうに、あどけなく、なにもわかっていないような顔をして、男を誘って、傷ついた自分の心に、さらに深い傷をつけようとしている。
 やめさせるべきだ、と思った。そんなことをしても、かなしくなるだけではないか。
 ミュラーは皇帝の華奢な肩をつかみ、ソファに押しつけた。ラインハルトの身体から力が抜ける。その美しい蒼氷色の瞳からも光が消えて、まるで息絶えた人形のようにみえた。この人形を、ロイエンタールは抱いているのだろう。
「陛下。やはりチェスをしましょう」
「いやだ」
「では、映画を観ましょう」
「いやだ」
「では、音楽でも」
「いやだというのに!」
 ラインハルトは泣きだす寸前のような顔をしていた。なぜ、泣くのだろう。さびしいのか、かなしいのか、つらいのか。ミュラーにはわからなかった。ただわかるのは、自分はこの幼いひとを抱くべきではないということだけだった。
 だから、ラインハルトの身体を起こしてやり、そっと、抱きしめてやった。腕の中でふるえる華奢な身体。その身体からは甘い匂いがして、それは香水の匂いではなく、まるで砂糖菓子のような香りで、やはり、どうしようもなく幼かった。
「いけませんよ、陛下。もっと自分を大切にしなければ」
 ミュラーの言葉に、ラインハルトは不思議そうに目を瞠いた。そして、その淡い紅色のくちびるで、なぜ、と呟いた。
「みんな、あなたを大切におもっているんです。だからあなたも、そうしなければいけません。それはたぶん、キルヒアイス元帥の願いでもあるでしょう」
 ミュラーの言葉に、ラインハルトは瞳に涙をにじませ、うそだ、といった。声がかすれていた。
「なぜ、嘘だとお思いです。キルヒアイス元帥は、いつも、あなたを大切にされていました。死後もそれは変わらないでしょう」
 ラインハルトは俯いて、両手で顔をおおった。雪のように白い手だった。彼はおそらく、自分のその美しい手を、血まみれのみにくい手だと思っているのかもしれないが、けれどそれは違うのだとミュラーは思った。だれも、あなたを汚れているなどとおもってはいない。あなたはそれを、知るべきだ。
「陛下。今度、キスリングに頼んで、お忍びで出かけませんか」
 ラインハルトが顔をあげる。不思議そうに、どこまでもあどけない顔をして。
「私がフェザーンの街を案内しましょう。キスリングだけに付いてきてもらって。三人きりで。私は昔、フェザーン駐在武官を務めていたことがあるのですよ。憶えておられますか。だから、この街にはくわしいのです。どこか、楽しい場所にお連れしましょう。そうすれば、もう…」
(あなたは、好きでもない男に抱かれて、夜を過ごさなくても済むでしょう?)
 ミュラーの心の声が聞こえたのだろうか。ラインハルトは子どものような仕草で頬の涙をぬぐって、微笑んだ。
「予は、卿が好きだよ、ミュラー」
 ほら、あなたはこんなにも綺麗だ。
 思いながらミュラーは、ラインハルトの白い額に口づけた。
 それくらいなら、許されるだろうと思ったのだ。
 ラインハルトはうれしそうに笑っている。
 あなたには幸せになってほしい。
 心から、彼は思った。


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